『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』(梯久美子著)
本を1冊読むと、その中に出てくる本や参考文献を芋づる式に読みたくなる。人に紹介されることもある。すると、なかなか新しい分野の本を手に取れなくなる。
ずっと読みたいと思いながら、チャンスを逸していた女性のノンフィクション作家の本を初めて読んだ。女性の書いたノンフィクションは、古くは清少納言、現代では佐々涼子さん、最相葉月さんら優れたものが多い。今回読んだのは梯久美子さんの『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』(角川書店、2020年4月)だ。図書館に同じ梯さんの『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』を同時に予約したら、『サガレン』が先に届いた。
宮沢賢治や林芙美子が訪れたサハリンの行程を梯さんとともにたどる鉄道旅行の紀行文だ。
本書はのっけから、利用した列車の名称にこだわる記述が続く。「サハリン号」なのか否か。先に進もうよ、と思っていると、「すでにおわかりかと思うが、私は鉄道ファンである」と種明かしがある。梯さんは俗にいう鉄ちゃん、テツだったのだ。それも「廃線テツ」。マニアックである。だが、そのオタク特有の眼力が文学史上の新たな発見をもたらした。
梯さんが車中で読んでいた林芙美子著「樺太への旅」には、芙美子がとある駅でパンを買ったという記述がある。このエピソードに興味を持った梯さんは、文献やサイトを調べ、パンを売ったのは「遠いポーランドで生まれ、革命に巻き込まれて死にかけ、艱難辛苦の果てに樺太に根を下ろした人物だった」と特定してしまう。
また、賢治の足跡をたどる旅では、賢治の詩「青森挽歌」の中に「わたしの汽車は北へ向かってゐるはずなのに/ここではみなみへかけてゐる」という部分に着目。賢治研究者らが「思想的・哲学的」「勘違い」としてきた解釈を、実際に地図を開きルートをたどることで「線路が北上するのではなく南下する区間」であることを突き止め、賢治は「事実をそのまま書いたのだ」と新事実を世に提示した。細部にこだわり徹底的に調べ上げるテツ、オタクの真骨頂である。
以前取材した神奈川県鎌倉市の不登校支援プログラムでは、次から次へとその道のプロ、いやオタクたちが登場する。そして、子どもたちに熱く語りかけるのだ。
同市の材木座海岸の近くには日本最古の築港遺跡が現存する。鎌倉時代に築かれ、日宋貿易の拠点になった。埋め立てが行われていないため、当時の陶片が数多く海岸に流れ着く。その陶片のつくられた時代や産地を鑑定するプロジェクトで、鑑定人を務めた大阪大学総合学術博物館学芸員、伊藤謙さんが「めっちゃ細かいところでも気付くことが大事」と、模様や色の有無と濃さなどで時代や産地を特定する、“目利き”の基礎を伝授。細部にこだわり続けると、自然に自分なりの尺度ができる。すると、異質なものに出会ったとき、それは何だ?、何故?という疑問につながり、疑問を解明することで新たな発見が生まれる。
伊藤さんはまた、「好きを仕事にしたらいい。好きなものを自分で見つけることができたら人生ずっと楽しい」とオタク道を不登校の子どもたちに説いていた。
「サガレン」にはこんな場面がある。
《芙美子が落合(駅名)で下車する場面読んでいるとき、私はふと思った。「いま乗っているこの列車、もしかしえ落合のあたりを走っているのでは?」と。(中略)鉄道に興味のない人にはそれがどうしたと言われそうだが、こういう偶然には胸がときめく。》
ほかの人からどう見えようが自分が好きなものに熱中しているときが幸せなのである。オタクになることは幸せへの道でもある。(2022.12.04)