『荒れ地の家族』(佐藤厚志著)
東日本大震災から間もなく12年。3月11日を前に佐藤厚志さんの第168回芥川賞受賞作『荒れ地の家族』(新潮社、2023年1月)を読んだ。震災の人的被害は、同年3月1日時点で死者1万5900人、行方不明者2523人。仙台市の書店員でもある著者は「死だけは本人ではなく、側にいる人間が引き受け、近いほど強烈に感じ続ける」と記す。さらに、負傷した人、生活基盤を失った人もいる。本書は被災地に生きる人たちのその後を現地から描いた。
新聞やテレビは毎年この時期になると、当時を物語るエピソードの発掘に余念がない。フィクション、ノンフィクションを含め震災を扱った書籍も多い。だが、10年という長いスパンの被災地の閉塞感を描いたものを、記者は本書以外に知らない。自身も被災した著者が現地にとどまり続け、生活しているからこそ表現できるリアリティだろう。
当時、文部科学省を担当していた記者も震災について書いた。被災地に入れない中、西に向かった。阪神淡路大震災の経験をもとに生まれた兵庫県教育委員会の「震災・学校支援チーム(EARTH)」の活動を取材した。翌年には、経済協力開発機構(OECD)が被災児童・生徒を対象に福島で行ったプロジェクト学習について詳報した。「復興」がテーマだった。誰もが思い描いていたキーワードだった。「復興」とは「衰えた物事が再び盛んになること、また、再び盛んにすること」だ。
あれから12年。「元の生活に戻りたいと人が言う時の「元」とはいつの時点か」「一度ひっくり返されたら元通りになどなりようがなかった」。本書の主人公、植木職人の祐治は思う。「祐治は、災厄の2年後に妻を病気で喪い、仕事道具もさらわれ苦しい日々を過ごす。地元の友人も、くすぶった境遇には変わりない。誰もが何かを失い、元の生活には決して戻らない」
建物やまちは、一度更地にして新たに建て直せば復興できる。が、人々の生活や心に復興はない。災厄をなかったことにはできないのだから。どんな災厄の上にも日々を積み重ねていくのが人なのだ。新たな震災文学が「復興」の厳しい現実を活写した。(2023.3.09)