本のこと

自死のリアリティ

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『蜩ノ記』(葉室麟著)

 ここかしこに散りばめられた地雷、がんじがらめの人間関係。遍在する切腹の機会。幾つ命があっても足りない。武士は大変だ。それが、葉室麟さん著『蜩ノ記』(2011年10月、祥伝社)を読み始めての感想だ。


 江戸時代、藩主の側室との不義密通の罪で幽閉され、10年後の切腹と家譜の編さんを命じられた秋谷を、庄三郎という若い侍が藩命で監視する。秋谷の家族と共に時間を過ごすうちに、庄三郎は秋谷の無実を確信する。


 農山村の美しい四季と主人公らの清廉さが印象的だ。ページをくくると、秋谷が切腹を命じられた訳が明かされていく。冤罪であり、理不尽極まりないのだが、それを甘受する秋谷の心情がなお理解できない。記者は秋谷が自死する理由を探しながら読み進めた。


 最終盤に、その理由がわずか一文、淡々と記される。ひと言で言えばキリスト教的自己犠牲だ。が、物語前半との整合性に欠け、後付けのようで納得がいかない。ページを戻るとこんな件があった。「ひとは心の目指すところに向かって生きているのだ、と思うようになった。心の向うところが志であり、それが果たされるのであれば、命を絶たれることも恐ろしくはない」


 生き方としてはかくありたい、とあこがれる。背筋が伸びる。だが、現代人が死ぬ理由として納得するのは難しい。ずっと読みたいと思いながら、機を逸してきた時代小説。藩の歴史を紐解く中で明らかにされる切腹の命をめぐる謎解きは楽しめたが、「凛烈たる覚悟と矜持」にリアリティを感じられないまま読み終えた。(2023.12.24 No.107)

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