本のこと

現実はホラー

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『キングの身代金』(エド・マクベイン著)


 「木に登るんだ。(中略)そうすれば向こうからはこっちが見えないんだから、何でもこっちの思いのままだ。向こうが何をやろうとしているか分かったら、ガツンと一発くらわしてやれ。パッと襲い掛かるんだ」「ルールは自分で作れ!」「勝てばそれでいい」


 最近、田村隆一さんの『ぼくのミステリ・マップ』に紹介してあった海外の探偵小説の古典を順番に読んでいる。子どもの頃読んだものもあれば、未読のもの、内容を忘れててしまったものも。前述したのはエド・マクベイン著87分署シリーズの『キングの身代金』(24年8月、早川書房)の一場面だ。運転手の子と遊ぼうとしている息子への富豪キングのアドバイスだ。


 「勝者は1人、残りは敗者。男はタフでなければならず、そのためならウソをついてもかまわない。過ちを認めたり謝ったりするのは弱虫のすることだ」(25年3月6日朝日新聞夕刊より)


 この祖父の言葉に従ったのがトランプ米大統領だと、臨床心理学者の姪が書いている。二つの発言は何だか似ている。


 『キング…』の初版は1959年。トランプ氏は10歳。作品がヒットしたところを見ると、当時の米国のメンタリティとして違和感なく受け容れられたのかもしれない。(ちなみに本書をもとに日本で映画化された『天国と地獄』では、権藤=キングは運転手の子にもエールを送っている。)物語ではこの後、キングの息子と間違われて運転手の子が誘拐され、キングが身代金を要求される。キングは要求を拒むが、87分署のキャレラ刑事や家族は説得を試みる。そこが物語の良識であり救いだ。


 だが、それから60年余り、今の米政権内には誰もトランプ氏に異を唱える人はいないようだ。相互関税は物価高を招き、最終的に米国民の消費に打撃を与える。火を見るより明らかだ。「勝者は(トランプ氏)1人、(米国民含め)残りは敗者」になりかねない。現実は小説より奇なりというが、もはやホラー小説のようである。(2025.04.06 No.163)

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