『われらの時代』(大江健三郎著)
「快楽の動作をつづけながら形而上学について考えること、精神の機能に熱中すること、それは決して下等なたのしみではないだろう。(中略)南靖男は、かれの若わかしい筋肉となめらかな皮膚のすべてを快楽のあぶらにじっとりとひたしながら…」
大江健三郎さんの初期作品『われらの時代』(新潮文庫、1963年6月)の冒頭を一読して、19歳だった記者は驚愕した。こんな汚らしい文章、世に出していいのかと。現に出版当時、酷評されたという。性と暴力を媒介に若者の閉塞感を描いたこの作品は同様の、いやもっと汚らしいじっとりとした描写がこれでもかと続く。それまで読んできた文豪、大作家の文章とは明らかに違った。大江さん自身、この作品を書いている間、不眠症に悩まされ、睡眠薬とウイスキーを欠かせなかったと後書きに記している。受験浪人していた記者も、デスパレート(絶望的)な気分で吐き気をもよおしながら読んだ。
だが、嫌悪しながら不快感が病みつきになった。大江作品の虜になった。中でも『われらの…』は記者が最も影響を受けた1冊だ。「朱色の塗料で頭と顔を塗りつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこみ」縊死した友人の描写から始まる『万延元年のフットボール』とともに何度も読み返したくなる。独特の文体に浸りたくなる。『広島ノート』『沖縄ノート』はルポルタージュではなく長編詩だった。こんなルポを書けるようになりたいと思った。
文豪、大作家といえば皆既に鬼籍に入った雲の上の人たちだった。だが、大江さんだけは新作が発表された。今週13日、そんな同時代作家の訃報に接した。享年88歳。残念だが、大江さんと同じ時代を共有できた幸せを噛みしめる。幸い読み返す本はたくさんある。お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。(2023.03.18)