学校教育

授業に芥川賞作品を

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『この世の喜びよ』(井戸川射子著)


 ショッピングセンターの喪服売り場で働く女性が、フードコートの常連の少女と知り合い交流する中で、かつての子育ての日々を思い出す。井戸川射子さんの『この世の喜びよ』(講談社、2022年11月)だ。物語は、井戸川さん独特の文体で女性の日常が淡々とつづられる。主人公は「あなた」と二人称、脈絡ないシーンが挿入され、うっかりストーリーから置いていかれそうになる。難解である。芥川賞受賞作らしい一冊でもある。好き嫌いは分かれそうだ。


 著者は詩人・作家であるとともに高校で国語を教える現役の教師。現代詩をどう教えようか悩み、打開策を探って自分で書いてみたのが創作のきっかけだと話している。著者の詩集は中原中也賞を受賞している。

 教える側の教師自身がまず、理解を深めようと頭と手を動かし作品を作ってみる。生徒は文学史をたどり、批評に触れるだけにとどまらず、現代詩の作者から創作のモチベーションや方法、難解とされる現代詩の意味を直接解説してもらえる。ぜいたくな授業であり、教えるとはかくありたい。教師である井戸川さんが全国の若い世代に、オンラインで自著をテキストにそんな授業をしてくれたら、とワクワクする。それに、まず自分で書いてみる。著者の姿勢と教授法は、生徒たちにとって学び方のロールモデルにもなる。

 本書は「この世の喜びよ」「思い出すことは世界に出会い直すこと」とうたう人生賛歌である。読後にはじんわりと温かい気分になる。そしてその喜びを、作中の「少女」が象徴する若い世代に「伝えられる喜び」もあると説く。多くの子どもたちに「この世の喜び」を伝えられるのは、教師の特権でもある。本書は小説というより長詩のようだ。井戸川さんが授業をしなくても、現代詩のサブテキストに使えそうな一冊である。(2023.04.28)

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