『ぼくが選ぶ ぼくのいる場所』(吉富多美著)
虐待など不適切な養育やヤングケアラーといった言葉は、子どもを取り巻く物語の頻出単語となりつつある。現実は、児童相談所への虐待の相談件数が年約22万件、ヤングケアラーは1学級に1~2人の割合でいるとされる。子どもを取り上げた作品で頻出するのは、現実の投影だ。友人に紹介され読んだ吉富多美さん著『ぼくが選ぶ ぼくのいる場所』(2023年7月、金の星社)もその1冊である。しかも、児童文学だ。
小学5年生のつむぎはアルコール依存症の母が連れてきた男から、家事をやらされ虐待を受ける。母のために耐えるつむぎだったが転校先の教師、友人、親戚らとの関わりの中で、自分のいる環境が本来子どものいるべきものでないことに気付いていく。
つむぎは転校してすぐ、こんな授業を受ける。担任の先生が「子どもの権利条約」と板書し呼び掛ける。「自分にとって最善の利益とはどういうことなのか。それを考えるのが、五年二組の一年を通してのテーマだったよな」。
現実の学校現場はどうか。今年は子どもの権利条約批准から30年の節目。国際NGOセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの調査によると、子どもの権利を「名前だけ知っている」「まったく知らない」教員が3割、学校で子どもの権利教育を特に行っていないとの回答も約半数あった。批准はしたものの、国内法が整備されず浸透しなかったからだろう。
「ぼくがもっと強くならないと(中略)そうしないとママを守れない」と思い込んでいたつむぎが、自分の家庭の在り方に疑問を持ち、自らの「最善の利益」に気づくのは、辺見先生が最初に行った授業が大きな役割を果たしている。閉じた世界の中で何の知識も得られなければ、自分の置かれた環境を当たり前と思い、疑問を持つことはない。
2023年にこども基本法が施行され、現実でも一定の進展がみられるが、教育関連法規には、子どもの権利に関する記述はない。子どもを過度に子ども扱いしてはいけない。自分たちの権利を学ぶ機会は与えられるべきだ。学習指導要領に載っていなくとも、授業で触れるべきだ。本書のいささか強引なストーリー展開は児童書のご愛嬌。子どもたちが直接手に取ってもいい。
つむぎがこう思う場面がある。「知ることで、自分も世界の一員になったような気がした」。まずは、知ることが出発点だ。(2024.06.22 No.129)