『国宝』(吉田修一著)
映画を家族全員が観た。「観ておいた方がいい」と勧められた。一瞬も目を離すことなく3時間楽しめた。いつもは原作を読んでから映像化された作品を観ることにしているのだが、今回は例外となった。歌舞伎をテーマにした『国宝』(2021年9月、朝日文庫)である。
実は、原作者吉田修一さんの著作、以前に唯一読んだ『東京湾景』に全く共感できず、以来一度も手に取ったことがない。だが、映画の面白さと、愚女が文庫本を買ったため、読んでみた。映画より面白い。
ファウストがメフィストと契約したように、映画は主人公喜久雄が悪魔と取引し、全てを犠牲にして歌舞伎の芸の道を究めていくのがメインストーリーという、映画業界に関わる愚息の解釈に同意する。
だが、原作では、映画では描かれなかった“犠牲”になった登場人物たちのその後が描かれている。皆、義理人情に篤いとてもいい人たちなのだ。その人たちがそれぞれがハッピーエンドを迎えられ、ほっとする。原作はファミリーを中心とした絆がメインテーマだ。映画を観た人は、原作を読むことをお勧めする。
記者が最も好きなのは、梨園の重鎮が喜久雄を許す場面だ。重鎮は、娘が喜久雄にだまされ利用されたことで、ずっと縁を切っていたのだが、喜久雄は自分の損得を考えず、世話になった反社会的勢力の大立者のために一肌脱ぐ。喜久雄の行動を粋と感じ、重鎮は喜久雄を認める。
反社との接触、現代では一発アウトだ。二度と日の当たる道は歩けないだろう。原作は「芸の肥やし」と何でもありだった時代から、コンプライアンスがそろそろ厳しくなってくるところまでを描いている。令和の現代を席巻するコンプライアンスにびくびくせず、損得勘定を度外視して義理を通す。粋。それが映画ヒットの一因のような気がする。(2025.10.08 No.176)