本のこと

俺だ

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『コンビニ人間』(村田沙耶香著)


 村田沙耶香さん著『コンビニ人間』(文藝春秋、2016年7月)の主人公の古倉さんは俺だ、と思った。死んでいる野鳥を焼き鳥にして食べようとは思わない。スコップで頭を殴ってけんかの仲裁をしたりもしない。でも、古倉さんは俺だ。


 抱える生きにくさ、そこからくるメンタリティがそこはかとなく似ている。その結果、〈黙ることが最善の方法で、生きていくための一番合理的な処世術〉になる。そんな古倉さんがコンビニの店員としてバイトを始め、〈そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。〉


 コンビニの仕事はマニュアル化されているという。対人コミュニケーションが苦手でも、接客マニュアルさえ覚えれば、店員として客と接することは可能になるのだろう。「世界の部品」になり、世界と繋がれるのだ。


 記者の仕事も同じだ。人見知りであっても仕事だと思えば、いやな取材相手とでも「世界の部品」として何とかコミュニケーションをとるよう工夫する。仕事だからできる。逆に仕事でなければ絶対にしない。後に著名な記者となった人が初めは、人と会うのが恐くてトイレに隠れていたという逸話を聞いたことがある。全く信用できないが、人の顔を全く見ないで話す医者も同類ではないかと疑う。

 仕事があるから社会と繋がれる人は意外と多いのではないか。だから、戸倉さんはコンビニのバイトを続ける。間もなく定年退職する記者はどうしよう。コンビニ店員などというマルチタスクの仕事はとてもできそうにない。(2025.12.06 No.181)

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