本のこと

意外さとギャップ

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『虐殺器官』(伊藤計劃著、早川書房、2007年6月)

 黒地に白と銀の角ばった文字が並ぶ表紙。タイトルは「虐殺器官」。これだけでは、何の本か全く想像がつかない。裏表紙のあらすじを読んで、近未来の軍事・インテリジェンスものだと分かる。意外だ。そこで一層タイトルに疑問を持つ。虐殺器官って?ずっと読みたいと思っていた伊藤計劃さんの一冊を手に取った。


 冒頭、悲惨な戦場の描写から始まる。だが、語り口はまるで村上春樹さんの初期作品に出てくる僕か、『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンが語っているようで、そのギャップが斬新だ。リアルな戦闘シーン、軍事・インテリジェンス用語と関連造語があふれ、マニアを惹きつけるのは間違いない。オーウェル、カフカ、イーストウッドの『ガントレット』やスピルバーグの『プライベート・ライアン』などが小道具として使われ、古典文学、映画ファンも楽しめる。


 9・11以降のテロとの戦いがテーマだ。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急増。サラエボとインド・パキスタンでは核兵器が使われた。米軍大尉クラヴィス・シェパードが、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追う。ジョンの狙いは…?壮大なスケールの中で、著者はジェノサイド(大量虐殺)を、戦争を問う。


 ギャップと言えば、伊藤さんは極度に発達したテクノロジーによる戦闘シーンを描く一方で、それによって殺される人間の描写は生々しい。血や臓器が飛び散り、肉片が焼かれ異臭を放つ。いくらドローンが爆弾を落とすようになっても、生身の人間が戦場で死ぬとは、殺されるとはそういうことだ。ロシアのウクライナ侵攻でも、キーウ(キエフ)近郊のブチャとその周辺区域で2022年3月に410人の大量虐殺があったと報じられた。報道が死体の様子を微に入り細を穿って書くことはない。だが、伊藤さんは一人の米兵の言葉を借りて、戦争の悲惨さを説く。

 
「地獄はここにあります。頭の中に、脳みそのなかに。大脳皮質の襞のパターンに。目の前の風景は地獄なんかじゃない。逃れられますからね。目を閉じればそれだけで消えるし…」


 海の向こうの戦争は「スペクタクルとしての戦争」ではない。想像力を発揮しよう。本書のタイトルにも通じる「虐殺を扇動する文法」は既に、インフレという形で世界を覆っている。無関心ではいられない。(2023.04.01)

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