本のこと

やはり手練れ

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『定年ゴジラ』重松清著

 重松清さんの小説が大好きで、ずっと読み続けている。古今東西もっとも好きな作家の1人なのだが、1冊だけ「自分には関係ない」と手に取らなかった本がある。『定年ゴジラ』(2001年、講談社文庫)だ。重松作品は登場人物に感情移入し、泣いたり笑ったりしながら読むのが楽しい。吹き出したり、涙が止まらなくなってしまうこともしょっちゅうなので、電車の中ではちょっと読みにくい。


 同書が出版された01年は米同時多発テロが起こった年だ。まだ30代のサラリーマン記者として充実した毎日だった。定年などまだまだ先のこと、と思っていた。が、それから20年あまり。遅ればせながら最近、定年が間近に迫っていることに気づき、書店で引き付けられるように同書に手が伸びた。


 「死のリハーサル」(7月24日記事)で紹介した、同じ定年がテーマの『終わった人』のあとがきで、著者の内館牧子さんは「こういう男を主人公にして小説を書きたいと思ったのは、もう二十年以上も前だ。その頃の私は四十代で、まだ実感もないまま脇に置いていた」と記している。


 それに対して、記者とほぼ同年代の重松さんが同書を書いたのは30代前半。一読して浮かんだ言葉は「重松さんはやはり手練れ」だった。初めて読んだ短編集『日曜日の夕刊』の感想を再確認した。ページをめくるたびに定年にまつわる不安が言い当てられ、定年後の自分の日常が詳述されているようだった。何で30歳そこそこで定年世代のことが書けるのか。


 ゴジラのあとがきで、重松さんは「父親の世代を主人公にした物語(中略)父親の世代がマイホームに託した夢のかたちを探る(後略)…」と書いている。父親の世代に「実感」を得たことでリアリティを生み出すことに成功している。単行本の帯には「戦後の日本を支えてきた〝父〟の世代は、『これが俺たちが考える幸せというものだ』と確かに子供たちに伝えてくれた。僕たちは、はたして子供に伝えるべき幸せのかたちを持っているのだろうか」と問うている。それから20年余り、重松さんは子供たちに伝えられる幸せの形を見つけたのだろうか。人生は100歳時代と言われる。重松さんにはぜひ我ら同世代を主人公にした物語「定年ゴジラ」を期待しています。(了)

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