『終わった人』内館牧子著
「定年は死のリハーサルですからね」
かかりつけ医の先生が言った。そこまで大げさでは、と言い返そうとしたところで、虚を突かれた。
「社会との関係がそこで断たれるのですから」
はっとした。初めて死に恐怖した。
50歳代後半に入り、近い将来に訪れる定年退職を思い煩っている。たじろいでいる。悶絶と言っていい。別のこともあり、さらに更年期障害も重なったのだろうか。春以降、寝汗が止まらないなど自律神経に変調を来し、クリニックを訪ねた。お金のこと、100年時代と言われるこれからの人生の生きがい…。ぞっとする。
人生の先輩たちに聞いてみた。「仕事がなくて気が狂いそうになった」「定年に備えて幾つも資格を取ったよ」「うまく天下れたけど、やりたい仕事ではないな」「みんなそうだし仕方ない」。サラリーマンは多くが悶絶し、諦めていた。
湘南地域のある市長が言った。
「私は地元で商売をしてきたから、市長をいつ辞めても地域に仲間もいるし、やることはいっぱいあるけど、都会のサラリーマンは定年後に居場所がないのがつらいよね」
ヒントはないかと内館牧子著『終わった人』(初出2015年、講談社文庫)を読んだ。冒頭、主人公の一言。「定年って生前葬だな」は、かかりつけ医の言葉と呼応する。無理に趣味を探し、ジムやカルチャースクールに通う、いかにも終わった人がとりそうな行動と心情の描写は、身につまされる。後半、主人公は波乱万丈な展開に巻き込まれていくが、普通の終わった人は、悶々とした日々が続く。自分もそうなりそうで怖い。
記者のかかりつけ医はちょっと変わっていて、漢方薬を処方するとともにこんなアドバイスをしてくれた。
「50歳前後は定年後をどう生きるかの準備の時期。これまでの自分の経験を持って、あの世にデビューするための準備の時期でもあります。寝汗などの症状が出るのは、準備ができず地上にしがみついているから。そこ(あの世)に行くための推進力を無駄に使うと、寝汗になります。自分は変わりたくないけど、この状況を何とかしてほしい、と皆さんクリニックに来ますが、変わりたくないではだめ。変化していくことにフォーカスすれば、寝汗は出なくなります」
定年は、会社という社会を離れ自立していくことだ、自立の方法は自分で探すしかない、と薄々気付いてはいる。このブログは「書く瞑想」と言われるジャーナリングの一種であり、サラリーマン記者が自立するための切実な手段なのだが、まだ寝汗は止まらず、漢方薬のお世話になる日が続いている。(了)