『金の角持つ子どもたち』藤岡陽子著
「サッカーをやめて、塾に通いたい」。小学6年生への進級を前に、俊介は突然、両親に打ち明ける。最難関の国立中学を受験したいのだ、と。『金の角持つ子どもたち』(藤岡陽子著、集英社文庫、280ページ、600円+税、2021年)は中学受験をテーマにした長編小説だ。
俊介には両親にも伝えていない夢がある。難聴の妹のためにロボットをつくることだ。難聴の妹の小学校入学を控え、家計も厳しい中、一家は俊介の受験を応援することを決意する。塾代のため働きに出る母、母が働いている間、学童保育に通うことを進んで受け入れる妹、家計の助けにと実入りのいい歩合の仕事を選択する父。俊介の一途な頑張りはやがて、学歴に引け目を感じていた両親自身に「希望の光」をもたらす。俊介の中学受験をテーマにした小説ではあるが、優しい家族、それぞれの成長物語でもある。
中学受験についてはいろんな見方がある。本書でも、俊介の祖母や小学校の担任教師が否定的な物言いをしている。いわく「可哀そう」「だって六年生の夏休みは、人生で一度きりしかないんだから」。担任教師の発言を旧知の校長先生に尋ねてみると、「気持ちの面ではよく理解できます。熱心な若手の将来有望なイメージも持ちました」と答えてくれた。だが、俊介は塾で信念をもって教える講師の加地に出会い、「勉強は楽しい」と、「涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにするような」受験という青春にのめり込んでいく。子どもたちは塾通いを楽しみ、日々、小さな達成感を感じている。著者の藤岡さんは、我が子の受験を通して感じたことを伝えたかったのだという。
ベストセラーになった実話『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(坪田信貴著、KADOKAWA、13年)でも、主人公のビリギャルは信頼できる講師と出会い、自分を変えた。いずれも学校では教えられなかった「勉強の楽しさ」を塾で学び、「人は挑むことで自分を変えることができる」体験を塾が手助けしている。
一方で、本書は親の経済格差が子に与える影響、公立校の正規・非正規教員の格差など現在の社会、教育が抱える問題にも切り込む。塾講師の加地が言う。「学校教育の中で、教師がすべての子どもの学力を向上させるのは難しい。教師は多忙で、業務は勉強を教えるだけじゃない。だからその補助を塾がしているんだ。おれが塾の講師をしているのは、子どもたちに勉強を諦めてほしくないからだ。純粋に学力を上げて、この社会を生きるための武器を持たせてやりたいと思っている」
そして本書の通奏低音となっているのは、利己や競争でなく、利他と協調の大切さを説いている点だ。受験前日に加地が塾トップの女子児童にエールを伝える場面がある。「おれは、美乃里のその恵まれた能力を、自分だけのものにせず、多くの人にわけてあげてほしいと思ってる」。俊介については「この子の能力は多くの人を幸せにするだろう。人に分けることを、当たり前のようにできるやつだから」と志望校に合格し、自分のために頑張ることができるようになることを願う。本書は「勉強の意味」を問う一冊だ。
ちなみに「ビリギャル」で「頑張るが『受験』でなくてもなんでもいいと思います。何かひとつやり遂げることって人生何度も経験できるものではないし、…」と書いていた、さやかさん(34)は新たな挑戦をしている。さやかさんのツイッターによると、9月から米アイビーリーグの一つ、ニューヨークのコロンビア大学教育大学院ティーチャーズカレッジに進学し、教育心理学を学ぶのだという。(了)