学校教育

教育という呪縛

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『母という呪縛 娘という牢獄』(齊藤彩著)

 子として、または親として、多くの人が聞き、口にしてきた。子を思い、良かれと思って。「勉強しなさい」。それが行き過ぎると、「教育虐待」になる。虐待かどうかの線引きは無い。齊藤彩さん著『母という呪縛 娘という牢獄』(2022年12月、新潮社)のケースは明らかに行き過ぎ惨劇に発展した。


 本書は、2018年1月、滋賀県守山市の当時32歳の看護学生が母親を殺害後に遺体を解体して遺棄した殺人事件のルポルタージュだ。加害者は被害者である母親から医学部受験9浪など長期に渡る苛烈な教育虐待を受けていた。報道機関の司法担当記者だった著者が、刑務所で娘が書いた手記をもとに、追い込まれ母親殺害に至る経緯を詳らかにしていく。

 最難関の国立大医学部進学を目指し、いつしか共依存関係に陥る母娘。互いに束縛し苦しみながら、現状維持バイアスとも言える状態から抜け出せない二人。父親との別居、高校卒業で母娘の閉じた関係は一層袋小路に入っていく。娘は、一体化した二人の関係を解消するには「いずれ私か母のどちらかが死ななければ終わらなかった」という思いに捕らわれ、凶行に走る。


 一歩間違えば虐待を招きかねないのが「教育という呪縛」だ。だから、本書は特殊な例だと目を逸らすことができない構造的な問題を提起する。悲劇が起きる前に何かできることはなかったのか、どこかで軌道修正できなかったかと考えてしまう。

 ヒントとなるのが娘の事後の気付きだろう。「誰にも理解されないと思っていた自分のしんどさが、裁判員や裁判官に分かってもらえた」「ひょっとしたら相談していたら、違った形になっていたんじゃないかなっていう後悔の気持ちもあります」。いずれも第3者の関与がカギを握る。


 残念なのは、娘が出したS0Sを学校が受け止められなかったことだ。娘は、中学受験して進学した中高一貫校の国語の教師を頼って再三家出をし、その度に連れ戻されている。家庭の問題であり、学校が対応する範疇を超えているのかもしれない。だが、関われる立場にいるのもまた、学校だ。


 取材で知り合った、不登校児童生徒の支援をしているある女性は、一度関わった子を精神科の医師に繋いだり、他の教育機関を紹介し、メンターとして接触を続けている。子どもたちは彼女を慕い、関係はずっと長く続く。

 「親戚のおばちゃんみたいなものです」と女性は言う。「その子の人生に関わる仕事だという覚悟はあります。教育の面白いところは、そうやって子どもたちの成長をずっと見つづけられることですよね」


 教育は「呪縛」を解き放ち、人を支える力も持つ。

 気になるのは母親がなぜ医学部にこだわり虐待に走ったか。本書では彼女の生育歴に触れ学歴コンプレックスの可能性を示唆しているが、それ以上の明確な記述がないのが残念な点である。(2024.1.28 No.114)

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