本のこと

今だからこそ

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『この夏の星を見る』(辻村深月著)

 フィクションではあるが、コロナ禍当時の学校の空気を閉じ込めた時代の記録だ。辻村深月さん著『この夏の星を見る』(2023年6月、KADOKAWA)である。休校、緊急事態宣言…、日常が制限される中、複雑な思いを抱えながら茨城、東京・渋谷、長崎・五島の中高生たちがリモート会議を駆使した天体観測を通して繋がっていく青春群像。思春期の登場人物たちの細やかな心理描写が的確だ。


 本書の中で高校生たちが口々に言う。「うちらには今しかないのに」「私の今は、今しかない」―。大きな制約を課せられながら、「今」を大切にしようとする子どもたち。焦燥、絶望を抱える彼らを見守る教師も「高校三年生の一年は今年しかないから、部活に戻ってきてほしい、あきらめないでほしい」と励ます。

 コロナ禍があったから気付くこともある。「日々、当たり前にしてきたはずの生活、日々の営みの価値や尊さがどんなものか、円華にもわかり始めている」


 取材でよく訪れる小学校の先生が口癖のように言う。「小学生時代は1度しかありませんから」。そのため、特に学校に馴染めず登校を渋る子どもたちには、少しでも学校に来やすいようにと心を砕いている。「いい思い出をつくってほしいです」と。


 本書はコロナ禍があったことを忘れてしまいそうな今だからこそ読みたい。あの時を改めて振り返り、制限がほとんどない今を大事にしたい。ポスト・コロナとなっても、今は今だけだ。その重みに変わりはない。「当たり前にしてきたはずの生活」があり、「今しかない」時間であることを教えてくれる。それは、残り時間が少なくなった中年のおじさんにとっても同じだ。


 本書もタイトル通り夏に読みたい1冊だ。そして大人も夜空を仰ぎたくなる1冊である。夏の大三角形が瞬いている。この夏の星を見よう。(2024.08.22 No.139)

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