『学力喪失―認知科学による回復への道筋』今井むつみ著
学術論文のようでけっして読みやすいとは言えないが、とても興味深い。乳幼児の頃は驚異的な「学ぶ力」で言語という巨大で抽象的な記号の体系を習得できるのに、なぜ学校では学力不振に陥り、学ぶ意欲を失うのか。認知科学が専門の今井むつみさん著『学力喪失―認知科学による回復への道筋』(岩波新書、2024年9月)だ。
ここでいう学力はテストの点数の良し悪しではなく、自ら学ぶ力だ。本書はその原因を、知識や概念が「記号接地」していないからだと指摘する。実感が無く腹落ちしていないということだ。乳幼児は本能で、仮説を立て実践し、失敗と修正、検証を繰り返しながら母語を主体的に学ぶ。それが学校では教えられる受け身の立場となり、能動的に学ぶ力が発揮されなくなるという訳だ。米生物学者レイチェル・カーソンが、好奇心豊かな子どもも成長するにつれ不思議さや神秘さを感じる「センス・オブ・ワンダー」を失っていくと指摘したのを思い出す。
「マイナス×マイナス=プラス」は数式の中だけのこと。現実世界で実感できるものではない。すべての原因を記号接地に帰すのは難しいが、知識や概念を生活経験に紐付けるため、学びに遊びを取り入れる「プレイフル・ラーニング」を回復の道筋として推奨しているのには賛同する。
学校での生成AI導入を巡る文部科学省の有識者会議。著者は慎重な姿勢を示した例外的な委員だ。「子どもが自分の頭で考えずに、すぐに答えを求めることが習慣になったら、ほんとうに大事なことにも記号接地できなくなり、つねに知識のかけらを求めて情報の海を漂流するだけの人間になってしまう」。記憶ばかりか思考までスマートフォンに委ねがちな今日この頃、大人だって日に日に脳の機能が衰えている気がしてならない。答えが容易に出ない状況に耐えるネガティブ・ケイパビリティはさらに弱まる。
著者は次期学習指導要領を議論する中央教育審議会(文科相の諮問機関)の委員でもある。中教審の別の作業部会はデジタル教科書を正規品教科書と認めるよう求める案をまとめたばかり。ICTやAI活用に前のめりな意見が多い中、今井さんには、バランスのとれた議論になるよう論陣を張ってほしい。(2025.02.22 No.157)