本のこと

追悼フォーサイス

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 9日に亡くなったという訃報に接し、自宅と職場近くの大型書店に行ってみた。追悼企画で著書が平積みになっているかと思った。そんなことは全くなかった。在庫も自宅近くの書店に1冊あるだけ。新聞各紙が代表作と取り上げる『ジャッカルの日』(KADOKAWA、1971年)すらない。図書館で検索するといずれも「貸出可」。そういえば、新聞各紙の扱いも小さなものだった。ネットニュースで流れてこなかったら見逃していたかもしれない。スパイ小説の第一人者、英作家フレデリック・フォーサイスさんだ。


 学生時代、100円の日焼けした古本を夢中で読んだ。ベルリンの壁が崩れ、東西冷戦が終結した時代だ。記者が国際情勢に関心を持ち始めた頃だ。フォーサイスさんはそんな世界についてスパイ小説、国際政治スリラーを通して興味を広げてくれる水先案内人だった。


 中でも、若いドイツ人記者ペーター・ミラーが元ナチの秘密組織の実態を暴く、虚実ない交ぜの『オデッサファイル』(同、1972年)は、最も好きな1冊だ。フォーサイスさん自身が記者出身。パリ、東ベルリンの特派員を務めた。ナイジェリア内戦では現地入りし長編ルポや、これをもとにした『戦争の犬たち』(同)を上梓した。記者志望の学生にとってミラー同様、フォーサイスさんはあこがれだった。後年、英秘密情報部(MI6)の協力者だったと告白している。

 記者になってしばらく後、担当していた経済官庁の幹部が各社の記者を集めた懇談の場で「フォーサイス流に言うと」などと発言していた。当時、30年以上前にはフォーサイスさんの本は読んでおくべきものでもあったのだ。

 だが、訃報の扱いや書店の状況を見る限り、生誕X年、没後Y年という商業ベースの企画はないだろう。40歳くらいの同僚に聞いてみたら、フォーサイスの名前さえ知らなかった。時代は移る。今年はアウシュビッツ解放80年。せめて『オデッサ…』と代表作『ジャッカル…』くらいは書店にあってほしい、若い人たちにも読んでほしい、ジョン・ル・カレ著『寒い国から来たスパイ』(早川書房)のように。と思うのは、年寄りのノスタルジーなのだろうか。フォーサイスさんは86歳だった。ご冥福をお祈りいたします。(2025.06.19 No.168)

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