本のこと

告発の彼方

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『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』(堀川惠子著)

 戦後80年。『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』とジャーナリスト、堀川惠子さんの著書を読み始め、堀川さんが戦争と並ぶもう一つテーマとして書き続けている死刑についての著作、『死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの』『教誨師』につながり、『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』(講談社文庫、2015年12月)にたどり着いた。


 いずれも取材力、文章力に圧倒され続けた。ひるんでしまいそうな重いテーマに長い時間をかけ粘り強く取り組んだ成果であり、驚くべき新事実をあぶり出している。特に『裁かれた命』は埋もれた事実を発掘し加害者の名誉を回復しているだけではなく、司法を断罪している。

 1966年に強盗殺人の容疑で逮捕された長谷川武(22)は半年後に死刑判決を受けた。長谷川は独房から死刑を求刑した担当検事に手紙を送る。それは検事の心を激しく揺さぶった。その手紙を端緒に堀川さんが取材を進める。


 結果、死刑は司法の手落ちどころか怠慢による不当な量刑だったことが分かる。長谷川が自供し弁明すらしなかったことで、情状は捻じ曲げられ、動機もあいまいなまま〈“厳正”な法廷でいくつもの審理を経て、「極めて凶悪な更生は不可能」と死刑判決は導かれた。そして、死刑は執行された。しかし、司法の場で裁判官たちが練り上げた判決文の中にある長谷川像と、取材を通して現れてきた長谷川武の姿は異なるものだった。獄中で綴られた五七通の手紙に見えてきた姿とも、遠くかけ離れていた〉


 事件当時に尽くされるはずの捜査、審理は行われなかった。事件から40年以上が経ち、関係者の多くが鬼籍に入る中で、堀川さんが一人で取材してつかんだ。圧巻である。堀川さんは当時の担当検事から「自分たちに都合の良い部分だけを抜き出しただけだった」「結論は変わっていたかもしれない」との言質を引き出している。恐ろしい。


 冤罪は、明らかになっているだけでも枚挙にいとまがない。警察、検察の捏造さえある。それも謝罪して終わり。それは組織内の処分で済むことではなく、犯罪ではないのだろうか。ましてや微罪、報道されない事件に至っては、「認めて終わり」の事例は数知れないだろう。記者もそんな例の一つを知っている。


 堀川さんの近著がきっかけで、透析患者も緩和ケアの対象とするよう政治が動き出しているという。しかし、司法村は一向に変わらない。本書は人が人を裁くことの意味を問い掛けている。人は過ちを犯す。司法に携わる人たちも同様だ。一般の人にとっては関わり合いになりたくない世界でもある。そんな閉じた世界のシステムを変えられるのは政治だけなのだが、刊行から10年以上経った今も、堀川さんの告発は届いていない。(2025.10.13 No.177)

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