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読む発掘屋

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『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(梯久美子著)

 先日、職場近くの日比谷図書館で行われたノンフィクション作家、梯久美子さんの講演「いつだって『読む』から始まった―私が“書く人”になるまで」を聴講した。好きな作家の人生のターニングポイントや書く人としての矜持をたっぷり1時間半聴けた。刺激になった。チャンスを勝ち取り、出会いにも恵まれた作家生活は、梯さん本人の人に好かれる人柄に負うところが大きいと感じた。


 講演の中で触れたデビュー作『散るぞ悲しき』(2005年7月、新潮社)を読んだ。第2次大戦の最激戦地、硫黄島の総指揮官だった栗林忠道を描いた。本書では〈あるきっかけから栗林中将に興味を持ち、調べるほどに心惹かれるようになった私は…〉とあるが、講演ではそのいきさつも語られ興味深かった。


 梯さんは、中将が大本営宛てに書いた辞世の歌が改ざんされて新聞発表されたことを発掘する。「国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」の最後が「散るぞ口惜し」と変えられていた。栗林中将にとっては亡くなった2万の部下を弔う〈鎮魂の賦〉であり、〈将兵を死地に追いやった軍中枢部への抗議〉だった。だが、〈軍人たるもの、どんなに苦しくとも文句を言わず耐えて戦い、黙って死んでいくべきである―そんな当時の“常識”〉の中、許されるものではなかった。その発掘、歴史的ニュースである。


 〈「観察するに細心で、実行するに大胆」というのが栗林の本領である。〉梯さんの観察眼にも恐れ入る。宮沢賢治の評伝でも発掘により歴史的な謎を解いている。「読む発掘屋」の本領発揮である。


 実行の方はどうか。作家としての実行は書くこと、作品そのものである。本書は前述の大発掘がプロローグにある。以降、その歌が生まれるに至った〈戦場の日々〉が歴史資料などに基づき綴られる。読み進むにつれ心配になった。起承転結の「起」にこんな大発掘を持ってきて、尻すぼみになりはしないかと。だが、硫黄島はすぐに陥落すると高をくくっていた米軍同様、記者は〈間違っていた。〉


 「起」にふさわしい大胆な「結」が待っていた。中将の「散るぞ悲しき」を受け止めた人が梯さんのほかにもう1人いたのだ。その人の意をくみ価値付けることで、本書は時を超え、栗林中将ら英霊たちへの鎮魂の賦として完成した。(2026.02.05 No.188)

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