『両手にトカレフ』(ブレイディみかこ著)
『海街diary1 蝉時雨のやむ頃』(吉田秋生作)
著者のブレイディみかこさんが「ノンフィクションの形では書けなかった」という英国貧困家庭の女子中学生ミアの物語。『両手にトカレフ』(ポプラ社、2022年6月)を読んだ。フィクションにせざるを得なかったノンフィクションという意味だろう。子どもの貧困とヤングケアラーの実態がいたわしい。それでも、弟を守りながら「ここではない世界」を夢みるミアが切ない。
物語は、現実のミアの生活と大正時代、貧困を生きた日本人アナキスト、カネコフミコの少女時代が並行して進む。いったんは「子どもであるという牢獄」から逃れようと自死を決意したフミコ。あたりを見回すと、自分を取り巻く世界が安らかに調和し、あまりに美しかった。フミコは「私は死ぬわけにはいかない」と思いとどまった。世界の美しさ、澄んだ空の美しさがフミコを救った。そんな自伝を読んだミアは…。
フリースクールのシュタイナー学校を取材したことがある。同学校では、芸術的な教授法を通して「世界は美しい」と教える。その積み重ねが、生涯にわたって自ら学んでいこうとする土台となっていくのだという。美しい世界は、子どもを育み、この世につなぎ留める力がある。
子どもに対する大人の責任について、端的にすべてを言い尽くしている作品がある。コミック『海街diary1 蝉時雨のやむ頃』(吉田秋生作、小学館、2006年)だ。
ヤングケアラーだった主人公の中学生すずが「しっかりした子」だからと、父親の葬儀で出棺の挨拶をさせられそうになったときのことだ。
初めて会う腹違いの姉、幸は「おとなのすべきことを子供に肩がわりさせてはいけないと思います」とぴしゃり。看護師の幸は「(難病の子どもたちは)例外なくいい子でしっかりしてます」と言い、こう続ける。
「厳しい闘病が彼らを子供でいることを許さないからです。子供であることを奪われた子供ほど哀しいものはありません」
すずは、幸ら姉たちと別れる前に町で一番好きな場所を案内する。町を見渡せる高台だ。山に囲まれ中心を流れる川の両岸に街並みが続く。父も好きだったという場所。子供でいることを許されたすずは、美しい世界の中で初めて泣く。激しく。感情をあらわにして。すずが「子どもであるという牢獄」から解放され、「ここではない世界」につながった瞬間だった。実話のモデルがいる英国のミアが希望を失わないことを祈りたい。