本のこと

嘘、ついてみようかな。

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『空芯手帳』(八木詠美著)


 教師図書館司書…。今回も、作家以外の仕事を持ちながら創作活動に励む若い女性が書いた本だ。『空芯手帳』(筑摩書房、2020年11月)を書いた八木詠美さんは雑誌編集の仕事をしているそうだ。太宰治賞を受賞し、世界15カ国語で翻訳が進行中という。

 純文学らしい緻密で静謐な文体。秘めたいら立ちを現わす際には「私はスペースキーを連打した」と、くすっと笑えるユーモアがのぞく。

 「女性だから」と当たり前のように押しつけられていた、来客用コーヒーカップの片付けなどにうんざりした主人公の柴田さんが、「女性だから」できる「偽装妊娠」という嘘でままならない日常に変化を起こしていく。

 柴田さんはお腹にタオルを詰め偽装する。でも、いつまでも誤魔化し通せるものではない。柴田さんはどう乗り切るのだろう。後半は特に結末を気にしながら読み進めることになる。

 ところが、柴田さんは太り始める。32週には胎動が増え、36週にはエコー検査で妊娠が確認される。???。時にはさまれる聖母マリアのエピソード。聖書になぞらえたのか。胎動やエコー検査は柴田さんの妄想なのか。妊娠は事実で、偽装しているということが嘘なのか。柴田さんが言う。

 「自分だけの場所を、嘘でもいいから持っておくの。人が一人入れるくらいのちょっとした大きさの嘘でいいから。その嘘を胸の中に持って唱え続けていられたら、案外別のどこかに連れ出してくれるかもしれないよ」

 これは柴田さんを通した作者、八木さんの独白かもしれない。八木さんが編集している雑誌がどんなものか分からないが、編集と創作は似ているようで全く違う仕事である。転職したくらい違う。特にノンフィクションでは、あいまいさはことごとく排除され、明確さが優先される。

 そこで八木さんは小説を通して嘘をついたのではないか。嘘を唱え続け、別のどこかに連れ出してもらった。定年を控え、悶々とした日々を送るノンフィクションの編集者兼記者にはまばゆく映る。嘘、ついてみようかな。(2023.06.10)

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