本のこと

新たな才能

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『休館日の彼女たち』(八木詠美著)

 面白かった。医学部のアルバイトで死体と対話する大江健三郎さんの初期短編『死者の奢り』を思い出し、最初から惹きこまれた。安部公房さん作品のようなシュールで奇想天外な展開が作品を駆動する。


 鮮烈な印象を残した処女作『空芯手帳』に続く八木詠美さんの『休館日の彼女たち』(筑摩書房、2023年3月)だ。「シフトは週1回、経験不問、ただし日常会話レベルのラテン語必須。仕事内容は古代ローマのヴィーナス像の話し相手」。算数で「平行」を習ったときから、ひとには見えない黄色いレインコートに身をつつむホラウチリカは、そんなアルバイトを始める。


 台座から動けないヴィーナス像は「私はいつも眠りが浅くて。健康な胃腸があれば、まず飲みたいのは睡眠薬ね。二度と目覚めなくてもいいくらいの」「不気味な学芸員の他には誰も言葉が通じない場所で毎日知らない人にじろじろ見られて。ずっと変な姿勢で肩こりもひどいし」などとユーモラスで饒舌だ。人とのコミュニケーションが苦手なリカも石像との密やかな会話を重ねるうちに恋に落ちる。そして世界を切り開く一歩を踏み出すまばゆいラストシーン。


 本書は純文学でありながら、すべての解釈を読者に任せるような不親切ではない。伏線が読者の理解を助けてくれる。リカが下宿するアパートでコミュニケーション不全の住人たちとの交流を通してリカは思う。「私たちはどうしよもなく分け隔てられ、隔てられているから集まる。集まろうとする。触れようとする。おそるおそる、ぎこちなく、どきどきわざと無遠慮に」。人は皆欠損を抱えていても一歩を踏み出すことができる。並行が交わることもある。そんなメッセージを受け取った。


「言葉なんて、覚えなきゃよかった」と田村隆一さんの詩『帰途』を想起させる学芸員、ハシバミの台詞も重みをもつ。太宰治賞受賞作家らしいくすっと笑えるユーモアが挟まれる。ストーリーの巧みさと豊かな比喩表現、静かな情景が目に浮かぶ筆致が見事だった。傑作である。次回作を、新たな才能の成長を期待する。(2023.06.28)

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