『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)
映像よりも先に原作を読むことにしている。宮﨑駿監督の同名映画を見るために慌てて読んだ。吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』(岩波文庫、1937年)だ。結果、映画はほとんど本書と関係がないミスリードなタイトルだったが、映画がなければ読むことはなかったかもしれないので、感謝したい。
軍国主義の時代にあって、コペル君という15歳の少年が叔父や友人らとの交友を通し内面を成長させる姿を描く道徳、教養教育の書だ。大昔に冒頭だけ読んだ記憶があるが、通して読むのは初めてだ。
現代の学校では、頻発するいじめ問題などを背景に道徳が2018年度から教科になった。教科化の是非や評価の導入が議論された当時、取材していた。違和感を持った。道徳は教科書を読んで教えるものなのか、学校が教えるものなのか…と。
政治学者の丸山真男さんが本書の回想で「個々の『徳目』のつめこみではなかったのか、という問題は一向に反省される気配はありません」と道徳教育に苦言を呈している。記者も教科として学ぶことには疑問が残るが、自分が半世紀以上生き、そして我が子に教育を受けさせて思う。
学校で身に付けてもらいたいのは、学力ではなく道徳だ。優しさ、思いやりといった数値で測ることができない美徳が生きていく上で最も大切だと、この歳になってやっと分かった。それを家庭だけで教えることはできない。記者自分はそうした美徳を持ち合わせていないが、子どもたちは幸いよい師と仲間に恵まれ、「温かい思考」を身に付けることができたと思う。
叔父さんがコペル君に説く場面がある。
「英語や、幾何や、代数なら、僕でも君に教えることが出来る。しかし、人間が集まってこの世の中を作り、その中で一人一人が、それぞれ自分の一生をしょって生きてゆくということになると、(略)自分で見つけてゆかなくてはならないことなのだ」。
同感だ。そのための場が学校なのだ。それに日本にはこんな優れた教養教育の書がある。教えるのではなく、子どもたちに読んでもらうだけでいい。(2023.07.26 75回)