『木挽町のあだ討ち』(永井紗耶子著)
永井紗耶子さん著『木挽町のあだ討ち』(新潮社、2023年1月)を読んだ。木挽町は現在の歌舞伎座がある東銀座あたり。記者が毎日のようにとおっている場所だった。歴史的な場にいるようでわくわくする。
さて、本書。若衆・菊之助による仇討ちが成し遂げられた。父親を殺めた下男を斬り、その血まみれの首をかかげた快挙は賞賛された。二年後、菊之助の縁者だというひとりの侍が、木戸芸者や立師、衣装、小道具、筋書など現場に居合わせた芝居小屋の関係者らに仇討ちの顛末を聞いて回る形で物語は進む。
各章関係者らの一人語りで章ごとに語り手が替わる。落語か講談を聞いているようで江戸の風景が頭に浮かぶ。少しずつ明かされる理不尽な経緯。そのため、忠義は尽くしたいが、仇である下男を殺したくないという懊悩を抱えながら迎えるクライマックス。終章で全ての伏線が回収され、「あっ」と驚く結末をみる。まるでジョージ・ロイ・ヒルの映画のようだった。短いタイトルにも憎い意匠がある。うまい。面白かった。直木賞・山本周五郎賞W受賞作である。
本書を読んで、時代物が書かれる理由が分かった気がする。永井さんは、時代小説だから描ける多様性に挑戦したかったと語っている。物語はあだ討ちを軸に関係者らが自らの半生を語る。「辛さも割り切れなさも人一倍知ってる連中」だ。彼らは困窮や生きづらさを抱えつつも居場所を見つけ強く生きる。時代による制約の違いはあっても、彼らの生きづらさは現代にも通じる。一方で時代物は、現代社会に欠けた忠義や人情、人づき合いといった「時代小説だから描ける美徳」を存在させやすい。それらを衒いなく筆を進められるのが時代小説という形式なのだと思う。(2023.09.10 85回)