本のこと

余白で遊ぶ

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『怖い俳句』(倉阪鬼一郎著)

 同じ文章でも、普段自分の書いている報道記事とこんなに違う世界があるのか、と倉阪鬼一郎さんの『怖い俳句』(幻冬舎新書、2012年7月)を読んで驚いた。記事もコンパクトさは大事なポイントだが一片の誤解も許されないように書く。だが俳句は、短文で説明し切れないという特性を生かし、あえて自由な想像を許す余白を与えるのだという。面白い。


 中学の国語のテストで句の解釈についての問題があり、正答は一つと思い込んでいたのだが、最近、俳句や短歌関連の書物を何冊か読んで勉強し始め、どうやら自由に解釈していいようだと気づき、本書で裏付けられた(あのテストは何だったのか…)。


 さて、本書。『ぼんぼん彩句』の後書きで著者の宮部みゆきさんが影響を受けたと書いていたので手に取った。「世界最短の詩文学。短いがゆえに言葉が心の深く暗い部分にまで響きます」と誘う、芭蕉から現代までのアンソロジーだ。

 物書きの端くれと自認し、本について書いているのが恥ずかしくなった。評論とはかくあるべし。お手本のような一冊だ。倉阪さんは俳句以外の文学、いや絵画や音楽にも精通。句の余白で縦横無尽に遊び、豊富で適切な語彙で独自の解釈を教えてくれる労作だ。


 短さゆえに読み手の想像力に委ねられる俳句。ハリウッドのホラーのように全てを見せず、その先にある見えない情景を思い描かせることで恐怖をあおる。日本の美学の一端を学んだ。「読者を俳句の世界にいざなう『初めの一冊』になれば」という著者のひそかな思い通りになった。


 踊の輪われを包めり 次は河東碧梧桐を読んでみよう。(2023.10.03 89回)

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