本のこと

五感に迫る

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『敗者たちの季節』(あさのあつこ著)

 本はほとんど図書館で借りている。予約した本は順番待ちだ。返却のついでに書棚を眺める。気になった1冊を手に取る。至福である。目についたのは、あさのあつこさん著『敗者たちの季節』(角川書店、2014年7月)だ。


 累計1000万部超のベストセラー『バッテリー』シリーズもそうだった。空は青く晴れ渡っている。土の匂いが鼻腔をくすぐる。熱い風が向かって吹いてくる。あさのさんが描く少年たちの野球小説は、五感に迫ってくるのだ。それが心地いい。


 高校野球地区予選の優勝校が不祥事で甲子園出場を辞退。決勝でサヨナラ負けを喫したチームが繰り上げで甲子園に出場する。繰り上げという通常とは異なるプレッシャーを背負う球児たちを軸に、家族、OB、辞退した高校の選手たち、新聞記者…それぞれの甲子園を描く。共通するのは登場人物全員が負けを経験しており、それぞれが自分の負けと向き合っている点だ。


 少年・少女らを描くとき、あさのさんの筆は最も冴える。それは同じ作品内であっても、大人を描写するのとは比べものにならない。「己の感情を大人のようにうまくいなせる術を知らず、子どものように素直に吐露できない」中学生、「自分たちの背負ったたくさんの思い、悩み、焦燥や迷いとともに、かけがえのない一日一日を生きる」高校生。あさのさんは彼らの心の内をそっとすくい取り、繊細に照らし出す。そんな心理描写が、五感に迫る風景描写と相まってみずみずしい文体に結実する。


 先日見たテレビ番組で、いまだに「バッテリーのあさのさん」と言われることに「少しむくれている」とのことだったが、是非、連なる作品を書き続けてほしい。(2023.10.12 No.93)

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