『定年オヤジ改造計画』垣谷美雨著
帯には「長寿時代を生き抜くヒントが詰まった『定年小説』の傑作」とある。ユーモア小説だと思っていた。前回エッセイを紹介した垣谷美雨さんの小説『定年オヤジ改造計画』(2020年9月、祥伝社文庫)だ。事実、記者より先に読んだ中学3年生の次女はにやにやしながら、しばしば声を出して笑っていた。読後は「あー、面白かった」。娘に続いて記者も読んだ。ホラー小説だった。
女は生まれつき母性を持っている。家事育児は女の仕事。女は家を守るべき…。「都合のいい常識」に毒されて大手石油会社を定年退職した主人公。悠々自適の老後を夢見ていたが、良妻賢母だった妻は「夫源病」を患い、娘に呆れられ、気が付けば、暇と孤独だけが友達に。崖っぷちオヤジは、人生初の子守を通じて離婚回避&家族再生に挑むという筋書きだ。
主人公ほど凝り固まっているわけではないにしても、小説と同じようなことが起こりつつある。「妻も娘も話をすぐに切り上げて自分の部屋へ逃げようとする」。
主人公を自分に置き換えて読む。ページをめくるたびに「これは俺だ」と心当たりがある描写が目を刺す。「これもアウトだったのか」と気づく。どんどん肩身が狭くなる。もっと心に突き刺さるのは、本書に例示されていない非常識な態度や言動をやらかしてきたのではないかと疑心暗鬼になるときだ。
とはいえ男は、何が会うとだったのかピンとこない。理屈で分かっても、腹落ちはしない。分かっても長年の「常識」が邪魔するからだ。主人公が心の中で叫ぶ。「どいつもこいつも俺をないがしろにしやがって。いったい誰の稼ぎで今まで食ってこられたと思ってるんだ。ひとつの会社に四十年近くも勤め続けることがどんなに大変なことかわかっていないだろっ」「いった俺が何をしたっていうんだ?」
三歳児神話を作り上げ、のちに少子化になって慌てて否定したのは政府。ずっと続いた男女の役割分担は「男を会社に縛りつけて長時間労働させるため、資本主義体制と近代家族の維持に必要な理念として普及させた」と、本書は指摘する。男も被害者であると憐れんでいる。
男は加害者であり被害者だったのかもしれない。いずれにしても世の中の価値観は大きく変わった。変化に取り残されていく怖さと、何が問題かも分からない恐怖。想像力を喚起するリアルなホラー小説だった。現実は、小説のように自分を変えるきっかけなど落ちてない。記者も心の中で叫びたくなる。「掃除、洗濯、弁当作りにゴミ捨て…。家事を最もやっているのは俺だぞ」「これ以上、どうしろって言うんだ?」(2023.11.28 No.103)