横浜市南部の栄区にある市立飯島小学校は、2011年の東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市の防災と復興を学ぶ学習を続けている。同市の実家が被災した大学生が「どこにいても自分が頑張ることが、家族や震災で被災した方々を支えることになる」と、飯島小で教員生活をスタートさせたのが始まりだ。震災の翌年に始まったその取り組みは、飯島小の校長だった尾上伸一先生の異動先、栄区と隣接する金沢区の六浦小学校にも引き継がれることになった。
飯島小で尾上校長らは、「たかたのゆめ」という陸前高田のご当地ブランド米を総合学習の時間に栽培したり、6年生が現地で民泊したりして交流を重ねた。尾上校長は毎年、現地を訪れている。「忘年会に誘われて、そのためだけに横浜から夜通し車を飛ばしたこともあります」と笑う。この3月には、陸前高田市の防災担当の村上聡さんと六浦小をオンラインで結び、「(最高学年の)6年生(現中学1年)が生まれた年に起こった震災」を学んだ。尾上校長は「村上さんたちが、命を守ることの大切さを本気で伝えようとしている、と子どもたちに伝わりました」と手応えを感じ、「防災は未来を考えるために教育の中で伝承していかないと」と思いを新たにした。
今年度から震災は、小学生にとって自分たちが生まれる前の出来事になる。時間が経てば伝承はどんどん難しくなる。そんな中で、昨年11月、六浦小の防災担当の大久保良洋教諭が現地を巡った。
「初めて行ったのですが、自分事になりました。価値観が変わりました。説明を受けながら、言葉にならない感情が生まれました」
他人事か自分事か、子どもたちに伝える上でその違いは大きい。大久保教諭は、今年の夏休みには現地の復興を進めている農家に民泊して再度の訪問を果たそうとしている。伝承のバトンは確実につながっている。
タイミングを逸すると、公のメディアに掲載するのは難しい。たが、何らかの形で記録として残したい、このブログでも紹介したいと思い筆をとった。(2023.04.10)