本のこと

前世紀のクワイエット・クイッター

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『部長の大晩年』(城山三郎著)

 「毎日が日曜日」。本のタイトルが流行語にもなった城山三郎さんによる俳人、永田耕衣さん(1900~1997年)の評伝『部長の大晩年』(新潮文庫、2004年8月)を読んだ。永田さんのことは本書で初めて知った。本書でその句に触れたが、正直言ってぴんとこなかった。ただ、裏表紙の紹介文「定年からが本番だった」の一言に惹かれた。うらやましかった。


 『毎日が…』や内館牧子さんの『終わった人』の主人公のように退職後に慌てて自分探しをすることはない。最近取材した30代半ばの霞が関のキャリアは「周りには商社や銀行、中央官庁に入って迷っている人がいっぱいいます」と話していた。自分探しは、思春期や定年前後だけにするものではない。


 一方、永田さんに迷いはない。会社員としても一応の出世をしたが、会社勤めを「つまらん仕事」と言い切り、定年を迎えた後、97歳で大往生するまで人生の熱意を俳句や書にたっぷり注いでいく。うらやましいのは、それだけ熱中できるものがあることだ。そして、定年後に充実した俳人人生を送れたのは「勤めながら、かなり早くから、いま一つの人生をすでに離陸させていた」からだろう。


 永田さんのそんな生き方は、最近注目を集めるクワイエット・クイッター(静かな退職者)に通じる。仕事を辞めるわけではない。やるべき仕事はこれまで通りこなすが無理をせず、「仕事=人生」という考え方に同意しない人たちだ。いつの時代にもある考え方ではあるが、パンデミックの影響で、人生や仕事、家族についての考え方が変わる中、米国では人口の半数を占めるという。


 日本でもこうした傾向は強まるだろう。学生時代に本格的な映画を撮り高い評価を受けていた長男の友人がこの春、サラリーマンになった。「映画では食えない」からだというが、これからも好きな映画は撮り続けるのだろう。明治、大正、昭和、平成の時代を生きたクワイエット・クイッター永田耕衣さんは21世紀に生きるわれらのロールモデルになり得る。(2023.04.09)

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